娘の結婚式が、11月28日に沖縄で開催された。入籍は2月にしていたが、コロナの影響で結婚式が延び延びになっていた。今回の日程も早くから決めていたので、もしも「緊急事態宣言」が発令されていたら、更に先延ばしになっていたかも知れない。私は、北海道ばかり旅行して、沖縄に行くのは初めてであった。今までで行ったことのある一番南は、40年ほど前に釣りで行った奄美大島であった。結婚式に関係なく、昨年の5月に航空運賃が安かったので、嫁さんと沖縄に行こうということで、一旦、那覇までのチケットを購入していたが、緊急事態宣言が出てしまい、結局キャンセルとなった。
←丁度、飛行機がトカラ列島の南を通過している時、諏訪之瀬島が噴火した。噴火した火山を見たのは初めてである。(2021/11/26 12:40頃)
出発した26日は、西風が強く飛行機が那覇に到着するのが少し遅れた。神戸空港を離陸して約2時間10分で那覇空港に到着した。嫁さんから何度も「寒く無くて半袖で居れる」と聞かされていたが、機外に出ると本当にそんな気温(25度)であった。空港の中は、あちこちに蘭の生花が飾られており、南国の雰囲気を盛り上げていた。
←沖縄と言えばコレ!!!
娘と新郎は、少し早めに到着していて、レンタカーを借りて待っていてくれた。荷物を受取って待ってくれている所に直行し、久々の再会となった。そして、荷物を積込んだところで、すぐにホテルのある谷茶へ向かった。沖縄は初めてなので、車窓から見る景色は新鮮であった。特に印象的だったのが、店の名前が横文字の店がやたら多かったことだ。沖縄では、何だかんだと米軍との問題はあるが、これといった産業が無いので、頼るしかないのだろうと私は思った。
ホテルに行く前の観光として、沖縄の焼物の工房がある「ヤチムンの里」に連れて行ってくれた。事前の情報を聞いて無かったので、何も調べていなかった。案内の地図があり、周辺にある工房の紹介が書かれていた。まず、駐車場から一番近い所の工房から見学した。そこは、ガラス工房で、工房の建物の側には、コカコーラのガラス瓶などの色んな瓶があった。(原料と思う)
←「ヤチムンの里」という焼物の工房が沢山集まっている所である。その中のガラス工房である。もっと早い時刻に行くと、有料でガラスの製造体験が出来る。
近くには、工房で作った製品が販売されている建物があり、その製品を見て回った。良く行く北海道の小樽にも北一ガラスがあるが、一般的に販売されている物より、私はちょっと高価ではないかと思える値段であった。
更に別の工房を幾つか見て歩いた。焼物の工房が何軒かあって、ある工房で販売されていた、焼き魚用の長方形の皿が気に入ったので購入した。娘も新郎も、器や置物を購入していた。
皆さん見学と買い物が終わり、ホテルに向かったと思っていたら、途中にある結婚式場に立ち寄って、打ち合わせをするようであった。我々は、新郎の母の車に乗り換えてホテルに到着した。事前にネットでホテルの紹介を見ていたが、本当に大きいホテルで、部屋は注文通りオーシャンビューの部屋だった。ベランダから海が見えていたが、砂浜には誰も居なかった。
この日の夕食は、両家の家族揃っての宴会であった。店は、新郎の母が予約してくれていた、沖縄民謡の生ライブがある居酒屋であった。店に到着すると、予め注文して下さっていた料理が次々に運ばれてきた。どれを見ても、なじみの無い料理ばかりであった。その中で、やっぱり興味があったのが、地元でとれた魚の刺身の盛り合わせであった。何やら魚種毎にカタカナの名前が書いた札が立ててあった。
←沖縄の刺身盛り合わせである。刺身を見ても本州で釣れる魚で無いことが分かる。更にカタカナで書かれた魚名は、ネットで調べなければ、さっぱり分からなかった。調べて魚名が分かっても、私が知らない魚であった。
イラブチャ:ブダイ科の総称で、これは皮の色から青ブダイと思った。
シチューマチ:アオダイ
クルキンマチ:ヒメダイ
セーイカ:ソデイカ
南国の魚は、水温が下がらないので、体に栄養を蓄える必要が無いためか、脂が乗った魚が少ないと聞いていた。食べてみてその通りで淡泊な身だと思った。
宴会が盛り上がって来たところで、沖縄民謡のライブが始まった。歌手は、結構若い地元の男性であった。三線を弾きながら歌ってくれたのであるが、これを生で聴くと、「沖縄に来ているんだ」という気分になった。沖縄は、米国の人が沢山居るからか、ステーキ屋が沢山あった。そのためか、どこの居酒屋のメニューにも、必ずステーキがあったのが、非常に印象的であった。
宴会も終わりホテルに戻った後、ご飯メニューが無かったので、ホテルのすぐ近くにあるコンビニに行って、おにぎりとみそ汁を買って帰って食べた。おにぎりのコーナーには、流石に沖縄なので、スパムを挟んだおにぎりが売られていた。ホテルの中にもコンビニと酒屋が一緒になったような店があり、そこで店のオススメ泡盛を買って飲んだ。流石に40度なので、だいぶ水で薄めて飲んだ。店のお薦めの古酒だけあって、泡盛になじみの無い私でも非常に美味しいと思った。
二日目は、我々を観光(古宇利島と美ら海水族館)に連れて行ってくれる予定になっていた。午前10時頃に両家の家族が、車2台に分乗してホテルを出発した。車は、名護市を通って1時間30分程で、古宇利島に到着した。島は、全長2kmの古宇利大橋で繋がっており、橋の上から見た海は、これぞ沖縄の海という感じで、非常に綺麗であった。
←古宇利島に架かる全長2kmの古宇利大橋である。海水の透明度と色が綺麗であったが、この島にも軽石が漂着していた。
車を駐車場に置いて頂き、皆で砂浜に下りてみた。すると問題になっている軽石が、集められて山になっていた。また、流石に沖縄、サンゴのかけらが砂浜のあちこちで見られた。この日は、生憎の曇りで風が強く、本当の美しい景色を見ることは出来なかった。
時間も流れて昼食タイムとなった。娘が携帯で良さげな店を見つけて予約した。駐車場から徒歩圏内の所にある店なので、皆でゾロゾロと景色を楽しみながら歩いて行った。この島は結構坂道が多く、上の方には大きなリゾートホテルが見えていた。あのホテルの部屋から見える景色は、最高だろうと思った。
暫く歩いてレストランに到着した。外国人が経営している店で、この日のお薦めメニューは、エヒが沢山使われたカレーか、シチューのランチセットであった。飲み物が付いており、私は車を運転しないのでビールを頂いた。結構料理が出て来るまで時間が掛かり、カレーが来るまでにビールを飲んでしまったので、おかわりしてしまった。結構スパイシーでエビもプリプリしており、思っていた以上に美味しかった。
←美ら海のイルカショー。イルカとクジラが元気良く演技していた。この後、有料でイルカと一緒に写真も撮ってもらった。
次に、一番楽しみにしていた美ら海水族館に向かった。道中、水族館までの道沿いは、車が通る割に何も無い寂しい感じであった。そして美ら海水族館に到着した。駐車場には既に沢山の車が止まっており、賑わっていることが推測出来た。水族館の改札前で新郎のお友達と合流して、館内を見て回った。
展示されている魚は、当然と言えば当然なのであるが、南方系の魚が大半で、私が見たことも無い魚が多かった。テレビでよく見る「ナポレオンフィッシュ」や大物釣りで有名なGT(ロウニンアジ)などを観察することが出来た。また、この水族館にも大阪の海遊館と同じく、ドデカい「ジンベイザメ」が悠々と泳いでいた。
水族館を見た後は、外にあるイルカショーを見に行った。結構沢山のイルカとクジラが水面を飛んだり跳ねたりと、色んな技を披露していた。今まで色んなイルカショーを見て来たが、ここのショーが一番スケールが大きいと思った。ショーの後は、上の写真でブルーの帯に見えるアクリル板の前にイルカを呼び寄せ、人が前に立って写真を撮るサービスが始まった。無料では無いが、実際に撮ってくれた写真をダウンロード出来るようになっており、ここまでサービスは進化しているのかと驚いた。
半年程前、結婚式開催の連絡が来た時、服はモーニングかと聞いたら、全員アロハとムームーでやるのが沖縄スタイル(リゾート婚)と聞いてビックリした。事前に参列される方に、当日着てもらう服(男性はアロハ、女性にはムームー)を送るとのことであった。号に居れば号に従え…言われる通りの準備で当日を待った。
そして遂に結婚式の日が来た。女性はヘアーセットのため、朝早くから美容院へ直行。出発までの間、私は準備したスピーチを部屋で何回も読み上げてトレーニング。娘に恥をかかせてはいけないと、真剣モードで練習した。そして、約束の11:00にロビーに集合して、結婚式場に向かって出発した。
5分程で到着し、皆さん、まずは式場の待合室で待機した。参列される方は、当日、現地集合ということになっていたので、娘の友達で私も知っている顔が何人か確認出来た。我々夫婦を見つけると、相手から「おめでとうございます…」と挨拶してくれた。みんなお年頃で、綺麗になっていた。暫くすると、ビーチへの移動の合図があり、タクシーに分乗してビーチに移動した。
この日は曇り空であったが、ビーチで写真を撮る頃には、何と太陽の陽が射してきた。実は、私の嫁さんは超晴れ女なのである。今まで2人で旅行して、雨が振ったことが無い。予定通り11:50頃からプロのカメラマンが一緒に来て、まずは、2人の写真撮影が始まった。
←今までで一番綺麗に輝いている娘、お幸せにね!!!親として、この晴れ姿が見れることを、心から楽しみにしていた。新郎の衣装、沖縄らしくてメチャかっこいい!!!あのベスト欲しくなった。(晴れ女の嫁さんのお陰で、奇跡的に晴れ間が覗いた)
近くで写真を撮りながら見ていると、皆さんに注目される中、カメラマンから何だかんだとポーズの指示が出て、二人は指示に従って色々とポーズを作っていた。そして一通り終わった後は、参列に来てくれた方々との記念撮影タイムとなり、それぞれの仲間で撮影が続けられた。
ここで、新郎を紹介したい。彼は、何とラリーの選手である。2020年の全日本ラリー選手権の覇者(新井大輝さん)である。齋藤家に車は本当に縁が無く、私の父は免許も持っていなかった。私は免許を取得したが、機会が無く結局一回も車を運転しなかった。そんな家の娘が、ラリーの選手と結婚するなんて夢にも思わなかった。娘は現在、彼が持っているミッションの外車を運転しているらしい…凄い。
←齋藤家の家族と新郎だけの写真である。手前のグレーの砂のように見えるのが問題になっている「軽石」である。
我々も新郎と齋藤家の家族だけの写真を撮ってもらった。目的は「年賀状」用の写真であった。沖縄の海をバックに、綺麗に撮ってもらえた。(かなさん、ありがとうございました⇒新郎のご友人)
撮影が終わりタクシーで結婚式場に戻った。そしていよいよ結婚式となった。開始前にスタッフの方から、ここの結婚式のパターンや、バージンロードの歩き方などを教えて頂き式に望んだ。そして挙式スタート、暫くして呼ばれ娘と入口で腕を組んでスタンバイした。会場の扉が開き、バージンロードを一歩一歩と進んで行った。そして新郎に娘をバトンタッチ…。心の中で「娘を渡したので、後は宜しく」とつぶやき、座席に座った。式は、祝福に包まれながら進行し、最後にこの結婚が取り行われたことを承認する署名を、指名された代表者が記載したところで式は終了した。
式の後は、披露宴である。同じ施設の中にある会場で行われた。今回の結婚式では、二人が決めたのであるが、家族以外の親戚は、誰も呼んでいなかった。我々の時代の結婚式と言えば、仲人を立てて親戚を必ず呼ぶのが常識になっていた。しかし、時代も変わり、聞いたところによると、仲人は立てないのが、今の常識になっているようだ。
今思えば、昔は親戚と会う機会も多々あったからだろう。しかし、今の時代、本当に親戚に会う機会が無いし、結婚式には、自分の昔からの親しい友人や、職場、趣味の仲良しにお祝いしてもらうのが、一番嬉しいと思う。要は、自分達がやりたいようにやるのがベストだと思う。昔の人は、固定観念を植え付けられたので、昔からのしきたりを、自分で変えることが出来なかったのだと思った。
今回の披露宴、若い男女ばかりで盛り上がって良かった。時間が経つにつれて、席の移動が始まり、何か「合コン」状態になってきていた。これも良いことで、もしかするとこの中から、新しいカップルが出来たりして…と思えた。そして最後のスピーチの時がやって来た。
まずは、新郎新婦から両親への手紙を、それぞれ読み上げてくれた。良くこの場面で泣かれる方が居るが、私は、悲しいではなく非常に嬉しかった。ええ加減な親であったが、手紙には、感謝の気持ちがひしひしとこめられていた。それを聞くと、ここまで育てて来て良かったと思った。私からは、凄い努力して高校受験や大学編入、そして大企業への就職と、大きな壁を乗り越えて来た実力を褒めまくった。
最後にエントランスで集合写真を写して、式の全ての行事が終わった。この日、日帰りで来て下さった方もあり、非常に申し訳なかった。新郎新婦が、念入りに式場と空港までの車やメンバーを調整しており、皆さん混乱することも無く帰って行かれた。これで一つ終わった。2つ目(長男)の結婚は未定である。嫁さんが、来ている方に「誰か紹介して…」とえらいアピールしていた。
4日目は最終日で、那覇市内を観光して、16:50の便で神戸空港に帰る予定であった。10時にホテルをチェックアウトして出発した。まずは、空港に行く途中にある「アメリカ村」に立ち寄ってくれた。平日の午前ということで、開店している店が半分くらいしか無かった。この村は、アメリカの昔の時代の建物が集まっているような感じで、主に飲食店とアクセサリーや雑貨の店が多かった。特にこの時期、クリスマスツリー関係の物が、見たことも無いぐらい沢山売られていた。
←アメリカ村にあった奇妙な色が塗られたテトラポット。何の意味があるのでしょうか?
ここでは、皆さんそれぞれ見たい店も違うので、分かれて散策した。この施設では、海に面した所もあり、海を見に行くと、何故かペンキで色を塗られたテトラポットがあった。何の意味があるのか不明であるが、見たことの無い光景であった。喉も乾いたので、コンビニでビールを買って海辺で飲んでいると、近くの空を轟音を響かせて、戦闘機が訓練飛行していた。その音の大きさは、あんなに小さい飛行機からの音とは、思えない程大きい音であった。
特に買う物もなく、ぶらぶらと開いて居る店を見て回った。皆さん散策が終わり集まったところで、那覇空港へ向かった。空港が近づいてくると、車窓の景色がホテルのあった谷茶とは違い、全くの都会となった。暫く走って車は空港に到着、新郎新婦、そして新郎の家族とここでお別れとなった。新郎新婦は、この後ハネムーンのため石垣島に向かった。
我々は、荷物を空港のコインロッカーに預けて、国際通りに観光に行くことにしていた。荷物を預けた後、モノレールに乗って県庁前まで移動した。沖縄のモノレールに乗るのも初めてであったが、2両編成で結構綺麗な車両であった。駅を降りて国際通りに向かうと、正面に立派な沖縄県庁が見えた。
←ご存じ、那覇の国際通り。そんなに混雑していなかったが、就学旅行の高校生が居た。修学旅行が中止になる学校が多い中、グットタイミングの計画であったと思った。修学旅行の無い学生生活は、私にとっては考えられなかった。
時刻は既に13時になっており、まずは、嫁さんがネットで探した人気店にソウキソバを食べに行った。場所は以外に簡単に分かったが、到着すると店の中で何人か待っている状況であった。特に急ぐ用事も無かったので待っていると、待っている間に注文を聞かれた。我々は当初、ソウキソバだけで良かったのであるが、折角沖縄に来たんだったら、このセットとソウキソバを注文したら、いろんな料理が食べれると薦められ、その通りに注文した。
座席数もそこそこあり、回転が早い店で、そんなに待つことも無くカウンタに通された。注文していたので、座ると直ぐに料理が出て来た。まずは、ソウキソバが出て来たので嫁さんと半分ずつ食べた。人気のある店だけに、本当に美味しかった。その後、セットの料理が色々と5種類程出て来た。この店の料理は、関西の人間でも食べ易い味付けであった。
食事の後は、国際通りの散策である。私は、ここで買いたい物があった。それは、ちょっと質の良いアロハであった。通りの店を確認しながら、一通りの道路左右の店を見終わったところで、気に入った店に行った。店に入ると、アロハだらけで、サイズ以外にどのように商品を探したら良いのかわからなかった。
店員さんに「魚の柄」が入ったシャツを見せて欲しいと言うと、何でそんなに知ってるのと言いたいぐらい、パッパッパ…と、魚柄の入ったシャツを見せてくれた。そしてその中からお気に入りを選択して買った。来年の釣行の時に着ようと思っている。国際通りは、そんなに人が居なかったが、修学旅行の生徒がちらほらと見受けられた。
その後、空港に戻り空港の売店を散策した。嫁さんは、先日死んでしまったウサギの写真を飾る写真入れを買っていた。出発時刻が近づいて来たので、発券機で搭乗件を発券し、荷物を預けて搭乗口に向かったのであるが、SKYの乗場は、手荷物検査の場所からメチャメチャ遠いところであった。羽田も遠いが、那覇はそれ以上に遠かった。
定刻の16:50にピットを出発、離陸後、帰りは1時間30分程で神戸空港に到着した。テレビで関西はかなり寒くなっていると聞いていたが、飛行機の扉の外は「冬」の気温になっていた。ダウンジャケットを着ていたが、それでもかなり寒かった。そう思うと沖縄は、一年中暖かくて良い所だなあと思えた。
帰宅して嫁さんと夕食を食べながら「一つ終わったな…」と言うと、「ほんまやなあ…」との返事が。人生一回、考えると自分の親がやってくれたことの繰り返しである。今の思い、父や母も同じだったのかなあ。何か良い想い出ばかり出来た沖縄の挙式であった。次は、釣りの想い出作り「広島遠征のウマヅラ」である。いつも期待を裏切らない釣船である。